朝に寝たい

言語化プロジェクト ほぼ日記

本当に?

 

胃がずっと痛い。多分昨日晩御飯を食べて何時間もしないで寝たからだと思う。

 

最近、予備校で毎度同じようなことを言われる。好きな物、こだわりを表現したらどうか、見せ場が弱い、物足りない、課題に対して受け身すぎる等等……うーんうーん……。すげえわかる!足りてないよながはは!

こんな感じになってしまう。

自覚が無い、訳では無い。こうなると面白いものってそもそも何?と(私は)なってしまう。

 

漠然と面白いものが好きだ。だって面白いから。その面白いの起因になるものもなんとなく検討はついている。なんとなく。「好き」の共通項を決めあぐねている。何かが絶対にあることを頑なに信じている。探しもしないで?

 

探している、振りをしているだけなのかもしれない。受け身でいることは、あるものを在ると受け止める考え方はなんとなく身についたけれど、その考え方が一概に悪い訳でもないと思う。姿勢を少し前のめりにしたこともあったし、、、

 

ここで少女歌劇スタァライトの話がしたいのでします。面白いものってなんだろう、て考えたとき直近で触れたのがスタァライトなので……。

愛城華恋はまだ何者にもなれていない舞台少女、それでも夢へ、友人との約束へ向かってひたむきに走り続けていた訳ですが……自らの犠牲を顧みずレヴューへの飛び入り参加。私はその姿勢に強く目を奪われます。劇中で呼ばれるきらめき、対象への憧れ、可能性に。無意識中での自己犠牲は献身的と言うよりも傲慢さからくるもののように思えました。

まあ愛城華恋はそんな姿勢の中でも誰かの何かになっていて誰かを何かへと変えています。(露崎まひる参照)

まあ何がこんなにこの物語への執着を見せるのかというと新作の予告にあった通り

私だけの舞台って?

に触れてきたところです。私にかけているもの私の持っていないもの。客観的にみたら私の作品は私らしいのかもしれませんがいまいち実感がわかない。簡単に言うと自分らしさ、個性みたいなものをもっと自覚して創作に取り組んで行くべきなんです。本当に?

だって私は演者じゃない。作品が全てです。

そう、そうだったんだ。そうなんですよ……。

新作への感情が大きい。本当にそれが見れるんですか?

とりあえずスタァライトの新作を……胸に……1年は生きようと思います……。

多分すごい文章がめちゃめちゃですけど知らん!なおしません。相変わらず自分のことが信じられないし、でも自分の作品には胸張りたいですよね。これは本当のことです。